良い日、ころころ

良い日には旅立たずに転がっています

喫茶店チェインストライク

家では作業が進まないから図書館に来て勉強するようなやつは甘え、というような指摘が、津村記久子『まともな家の子供はいない』でなされていたような気がしますが、ぼくはよく、「家では集中できなーい」とかいう甘えた理由で、喫茶店や図書館に出かけます。ただ喫茶店の場合、個人経営の喫茶店に行ってコーヒー1杯で3-4時間以上じっとしているのはやや迷惑というか、規模によっては営業妨害というか、もはやそれは暴力ではないかといった非難を免れることができませんので、個人経営の店ではできるだけ1-2時間につき再注文するということを心掛けますが、今度はそうすると僕のほうが経営破綻するわけですねー、経済学の語源は家政学なんだって!

そこで立ち現れてまいりますチェーン店の喫茶店、国家とまではいかなくとも大資本の会社によって営まれており、都市を中心に、非常に広い範囲に分布している喫茶店類喫茶店科喫茶店チェーン亜科に属するチェーン店の喫茶店であります。チェーン店といえば、サービス業だしバイトさんばっかりだし、きっと正社員のはずの(もしかしたら契約社員)店長は過酷な労働環境にいる可能性が高く、今流行りのブラック企業、かもしれず、ホスピタリティはマニュアル化されて、人間の温かみなどない場所です(そうとは限りません)。こんな施設を利用して、よいのでしょうか、わからない、わかりませんが、僕は言いたい、特に何かを食べたいわけでも飲みたいわけでもなく、ただそこにいるためだけに長々と喫茶店に居座ろうとするすべての人類よ、チェーン店喫茶に行かれたい(ヤハクィザシュニナ)。

つまりチェーン店喫茶店であれば「長々居座って申し訳ない」などと思う必要がありましょうか、なくなりましょうか、だって相手は大企業だよ! バランスシート見たわけでもないしわかんないけど、きっとたんまりお金持ってるし、ある程度は座ってていいんじゃないかなあ。こういう店を漫然と利用すれば労働者から人間性を奪うような大資本の商売を利することになり、ブラックバイトやブラック店長やとにかく黒く染められし者たちに対する搾取にあなたも加担することになるんですよってそういう意見は一つの(極端だが素直な)意見として大いにありうるものですが、こうした意見を前提とすれば、そういう悪の大資本は打ち倒されるべきなのだから、我々長時間利用者同盟による粉骨砕身の圧倒的大滞在是即一撃必殺。長い間居座ることによってブラックな労働環境を強いる大資本に対して客としてのストライキを行う、これは、消費者運動なのである! これは店舗利用者の正当な権利行使なのである! 我々の長時間利用ストライキによってブラック労働者は職を失う可能性があるが、さすればブラックな企業がひとつ世から消えるということ、尊い犠牲と見る向きもありましょうが、実際にはむしろ倒れる前にブラックな企業はブラックな態度を改善するかもしれませぬ、であればwin-winならぬwin-win-lose, 企業だけがご苦労をなさることになりますが、努力していただけるのであれば我々もやめましょう、1hに1回コーヒーを買いましょう、そして地球より重いそれぞれの人生の長い時間を、あなたと共に過ごすことを約束しましょう!(帰ってくれ)

 

党首演説終わり、まとめ

チェーン店の喫茶店(カフェ)って、長い時間座っていろいろ読んだり書いたりするのに便利で助かるー!

(喫茶店各位: いつもお世話になっております、ご迷惑おかけしてたいへん申し訳ありません)

 

以下では具体的にチェーン店の喫茶店の比較をしていきます。 

 

ドトールコーヒー

http://sp.doutor.co.jp

値段: 安い

コーヒーの味: コメントしにくい

食べ物の味: ふつうにおいしい

言わずと知れた重鎮、というには身近すぎるし値段も安いし店舗のデザインものんびりしている。別に喫茶店チェーン店界で重鎮として君臨するにあたって威厳は必要ないような気がする。威厳のあるコーヒーショップは(個人経営店にたまにあるけど)入りにくくなるので諸刃の剣なのであろう、この老若男女が居心地悪くならないのんびりユニバーサルデザインこそがドトールの武器なのだ。入り口が狭く見えても入ってみると意外に広い、という店舗がけっこう多い、気がする。平日はひとりで勉強やお仕事に来るひと以外に、保険勧誘とかしているビジネスマンもけっこう来ている。おいおいその契約大丈夫か、とかこっそり聞き耳立てながらあなたの作業が進められる。コーヒーの味については何か書いて名誉毀損訴訟を起こされたらたまらないから何も言わない。サンドイッチやミルクレープはふつうにおいしいし値段も程良いと思う。

 

カフェドクリエ

http://www.pokkacreate.co.jp

値段: 安い

コーヒーの味: なんとも言い難い

食べ物の味: ふつうにおいしい

これはフランス語ですか? グーグル翻訳アプリにアクサンテギュつけるの面倒だったのでつけないまま「cafe de crie」と入力してフランス語➡︎日本語の翻訳をしてもらったら「コーヒー叫びます」と出た。絶対に違うと思う。アクサンテギュ(アルファベットのうえについてる点)って大事なんですね。ともかくこの「コーヒー叫びます」ですが、個人的には勝手にドトールコーヒーのライバルだと思っている店です。価格帯も味もラインナップも店舗デザインもすべてが似ている……。カフェドクリエだとドトールコーヒーにはないパスタが食べれるのが売りになるだろうか。コーヒーの味は同じくコメントしにくい感じだけど、こちらではたまにレシートでのコーヒーのおかわりが安くなるサービスをやっています。長居するときはうれしいですね。サンドイッチがトーストサンドになっていて、いろいろ種類があって面白いよ。食べ物、飲み物共にシーズン限定のメニューの数が多いイメージ。

 

ベローチェ

https://chatnoir-company.com/chatnoir/html/brands/brands_veloce.html

値段: 安い

コーヒーの味: うーーーーん

食べ物の味: 実はけっこうおいしい

ベローチェというと一時期は住処を追われた喫煙者たちのアジールとして知られていましたが、最近は分煙店舗の禁煙コーナーも広くなり、非喫煙者も利用しやすくなりました。シャノワール(フランス語でクロネコ)という会社のお店で何年かに一回ふちねこというかわいいグッズを配ってくれる、かわいい。ドトールやコーヒー叫びますと比べると店舗数は少ない気がしますが、値段はかなり抑えめで利用しやすいです。店内の配色がドトール、カフェドクリエと比べると暗めになっていて落ち着きがあり、比較的男性のおじさま層が多いイメージです(筆者は「男の子は青、女の子はピンク」の呪いをここにまた見るものである)。コーヒーはまあ、まあ、200円とかなんで、ね、という感じですが、サンドイッチやケーキはけっこうおいしいです。サイゼリヤみたいな感じで、シーズンごとの入れ替わりとかほとんどせずにシンプルに定番だけを売る業態で、味をある程度保ったままコストダウンを図ってるんだと思われます。ぼくはピーナッツバターサンドが好きです。飲み物はいっそのことティーバッグで準備してくれる紅茶のがおいしい、が、コーヒーのが安い。

 

サンマルクカフェ

http://www.saint-marc-hd.com/saintmarccafe/

値段: 安い

コーヒーの味: 言葉にならない

食べ物の味: ふつうにおいしい

低価格帯コーヒーショップ業界に颯爽と現れた風雲児、近年めきめきと店舗数を増やす、店内でパンを焼く、その名も、サンマルクカフェーッ! というのがぼくのなかにあるイメージですが、サンマルクカフェ自体は昔からありますよね。なんかでも最近、店舗数が増えて、どこ行っても見かけるようになった気がする。サンマルクカフェといえばチョコクロであり、レジに並ぶ途中にたくさん配置されているパンたちなのですが、コーヒーが上記3店舗に負けないくらい安く(味には一身上の理由から触れたくない)、店内にふかふかの椅子があることも多く、長居しやすい。店舗によるのはわかっているけど机が小さいことが多いのは居座りには減点ポイント(居座られたくない企業の目論見を打ち倒すためにみなさん我慢してください)。あとはなんとなく、店員さんがとりわけ忙しそうなことが多い気がしている。つまりむしろ静かなる消費者ストライキで長時間席を埋めてアルバイトさんのお仕事のペースを落としてあげるべきかもしれない。パフェとか、ケーキ以外のソフトクリームを使ったデザートが豊富で、「デニブラン」なるデニッシュ生地のうえにソフトクリーム載せたやつが、かなり甘くて、とても甘い味が欲しいときはおいしい。「デニブラン」、コメダコーヒーのシロノワールとかココスのココッシュを彷彿とさせる商品である。どれが先とかわからないけど人権を守ったうえでみんなで切磋琢磨して良いものを作って欲しいです!

2018年追記: その後の調査で、店舗によってはSサイズのコーヒーをメニューから消すという新しい手法でもって客単価を上げている場合があるということがわかってきました。でもどこでもレシートでお代わりできるシステムがあることもわかったので許してあげてください。

 

以上、ひとまずのところ、コーヒー1杯あたりの価格250円以下で厳しい戦いを繰り広げる4つのチェーン店をご紹介しました。どの店も示し合わせたかのように店名がフランス語なのはなぜ。ひと昔前に日本に流通していたフランスのイメージに由来するんだろうか。いまはコーヒーより紅茶のイメージのが強いですよね(ってぼくのなかだけなんだろうか)。

 

次回は、よりハイクラスなコーヒーを体験できる以下のチェーン店を取り上げる予定です! あれ、これ続くの!? 続きます! また見てね!

 

番外編ではあなたの町のドーナツショップも出る予定だよ!

 

ちなみに、本記事ではカフェと喫茶店の区別を曖昧にしていますがチェーン店の経営会社的にはフルサービス(席まで注文取りに来てくれる)かカフェテリア方式(カウンターで注文して自分で席までもっていく)かで区別されることもあるようですが個人経営だと中間の店(カウンターで頼んで席まで持ってきてくれる)もあるしなんともいえないし英語と日本語ってことでいいんじゃないでしょうか!(フランス語?)

welcome to ようこそ 旅立とう

ここはジャパリパークではないし、僕はサーバルキャットのサーバルではない。かばんでもない。きょうは帽子も被っていないし、ポケットにお財布を入れて、晴れた日に電車に乗っている。でも実はリュックは背負っている。混んでいる電車ではリュックは前で持つのがマナーだけど、今はそこまでは混んでいない。バスに乗らなくとも目的地に着けそうなことはスマホが教えてくれる。定期券の範囲内の乗り換え駅についたので、この筆先は一度止まる。

 

これより定期券の範囲外へと出る。8分後にまた乗り換え。この春からまた大学院に通うことになったので、とりあえず僕はまた学割で定期券を買えるようになった。きょうは学割定期の範囲内で乗り換えて、学割定期の範囲外へ向かう。休日のちょっとした冒険というほどのものでもないお出かけです。冒頭でジャパリパークの名前を出したのは昨日の夜にミュージックステーションけものフレンズというアニメの主題歌が歌われるということでミュージックステーションとか普段見ないし別に絶対見届けたいというほどの情熱もなかったのだけどちょうど教えてもらってせっかくだったので、見た。サーバルちゃんたちの歌はあんまり上手じゃなかったような気もしたけどそれでも歌を聴いていたらアニメのけものフレンズが面白かったなあということを染み染み思い出した。ミュージックステーションの説明だと、けものフレンズの内容はかばんちゃんが旅する成長物語みたいな感じだった。間違っていない。でもそれだけというのでもない、というか、けものフレンズの特有の面白さの抜け落ちた内容説明であるような気もした。でもけものフレンズってどう面白いのかよくわからない。何が面白かったんだろうなあ。乗り換え。

 

もうすぐ目的地に辿り着いてしまうのだけど、サーバルちゃんとかばんちゃんの旅の目的地ってどこだったんだろう。最初は図書館で、その次は港で、その次は別の島? 図書館では料理をするのです。なんで。われわれは賢いので。いろいろ、ぜんぜん、わっかんねえよ、っていう会話が続くのだけど、ボケ倒す感じのリズムは楽しい。僕は激しい漫才的な笑いを見ていると時々ツッコミ役の勢いある言葉に怯んでしまったりすることがあるので、ツッコミ不在で、自分が勝手に頭のなかで好きなタイミングで好きな程度でツッコミができるのは気が楽なのかもしれない。でもフレンズたちがボケる(?)たびに、視聴者として必ずしもツッコミいれてるわけではなく、ボケの川に流されてそのまま帰ってこれなくなるというか、思えば遠くへ来たものだ、とか、ひとしきりツッコミそびれて流された先の小島から自分の遍歴を振り返ってみるのを楽しむこともある。こういう営みは、意志の力は弱いのかもしれないけど自分では思いもつかないような場所に辿り着くというロマンチズム的なるものがある。これぞ旅情? でも普通、旅をする上では綿密に予定を立てなければいけない。じゃないと電車にもバスにも飛行機にも乗れない。目的地の最寄駅に到着。

 

スリランカ紅茶のお店でお昼を食べようと思う。ひとりで。ここに来るまでに一度、書店に引っかかる。読みきれないほどの本を買うのはお金がもったいなくていけないですね。でも本屋に来ると、買おうと思っていなかった本に手が伸びるのがおもしろい。料理が出てきた。

 

料理を食べ終わった。紅茶が付いている。紅茶のお店だからそりゃそうなのだけど。きょうは暖かい日だけど温かい紅茶がおいしい。暖かいなかで温まる。スコーンとかも注文したい。ランチ後に注文できるんだろうか。紅茶を一口。おいしい。紅茶というとイギリスで、イギリスはインドのほうを支配したりしたので、インドでは紅茶が、えーっとでも、イギリスが紅茶なのはインドを支配したからなのかもしれず、因果関係、たまごにわとり、もうすぐイースター、わからないのです。ともあれ紅茶の葉も大海を渡って世界中を行き交っていたしいまもそうしているんですよね。僕より世界を見ている葉っぱ。でももう死んでしまっているのかも。イギリスで大航海、というイメージがいま強くなるのは、このあいだ上野の大英博物館展に行ったからで、大英博物館展によると、ダーウィンは30代前半くらいで自然にある未知のものを探しに世界一周の大冒険に出たみたいだ。それでカメとか見つけたりとか、進化論を思いついたりとか。ダーウィンの隣には、冒険とかに出ないまま、勉強をして進化論みたいなのを思いついた人のことも書いてあった。でも名前を忘れてしまった。ごめんなさいイギリスの偉人。どちらにせよ、机の上でも船の上でも同じことを思いつくというのは不思議だ。小説や文章は、机の上でも書くことがあるし、いまみたいに電車に乗りながら、紅茶を飲みながら書くこともある、あ、紅茶を飲んでいるときも、「机の上でやっている」に含まれるのかもしれない。つまりダーウィンは海の上をまだ見ぬものを求めて旅をして、机の上でその成果をまとめた。ええっと、この文書は、どこに向かってるんだ?

 

実は予定があるのは夕方以降だから、今日はちょっと早く家を出てきただけで、お昼を食べたあとにはまた本屋を少し見て、チェーン店の喫茶店にきた。 ノンカフェインのルイボスティーを頼んだ。まだ口をつけていないながら、さっき飲んだ紅茶のがずっと美味しいんだろうなあっていうのがわかる。一口飲んでみた。まあルイボスティーだしジャンルは全然違う、でもなあ、お茶代というより席代。紅茶、さっきのはなかなかよかったなあ。結局スコーン食べなかったからまた行きたいなあ。

 

イギリス人は選挙のときだけ自由なのであり、そのあとは奴隷だ、ってルソーが言いやがったみたいに、ひとは旅程を立てるときだけ自由で、そのあとは奴隷なのかなあ。でもダーウィンもサーバルも、そんな風には見えないね。途中でいい発見もあったみたいだ。僕もできればそのように生きたいものだ。ダーウィンやサーバルやかばんちゃんみたいに。

 

Kindleで買って読まないままになっている光文社古典新訳文庫のダーウィンの進化論とか、読まなきゃいけないな。

(そう言いつつ、Kindleを開けばついつい「バーナード嬢曰く」などを読んでしまうのであった)

トイックとトイフル: 仔猫の話

    トイックは猫で、トイフルも猫だ。二匹は姉妹で、たぶん同じ母親から生まれた。身体の模様もほとんど同じだから、父親も同じかもしれない(実は猫の母親は、一度に複数の父親の子どもを産むことができるのだ。すごい)。でも正確なことはわからない。二匹は野良猫だったから。 

    野良猫だったから。
    そういうと、いまは野良猫じゃないみたいだ。けれど、どうなんだろう。トイックもトイフルも、もう野良猫ではないんだろうか。ううん。トイックとトイフル、それぞれについて、僕はキーボードを打つ手を止めて考えてしまう。
 
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* * *
 
 
    この前の週末の日曜、2016年5月29日は、第何回目かのTOEIC試験の日だった。TOEIC試験というのは英語を母語としない人々の英語力を図るためのテストで、日本ではビジネスマンや大学生のあいだで広く受験されている。試験時間は長く、二時間とか三時間とか。なんか記憶が曖昧なのは、前回僕が試験を受けたのは、もう一年以上も前のことだからだ。この日曜日にTOEIC試験を受けたのは僕ではなくて、僕の後輩の男の子だった。彼は大学院を受験するためにTOEIC試験を受けた。彼が受験する予定の大学院では、TOEIC試験の成績でもって英語力を試す、ということになっている。
 午前中の朝早くからTOEIC試験を受験して、昼過ぎになって、彼はたぶん、へとへとに疲れて、思ったよりできたなあとか、全然できなかったなあとか考えながら、大通りか脇道かあぜ道か、神の視点から見ていなかったから僕にはわからないけれど、そういう何らかの道を自転車で走り、家に帰る途中だった。
    家に帰ったら一休みして、夕方以降はアルバイトに向かう予定だ。彼はそのアルバイトをやめて、大学院に入ったあとも続けられるような研究機関でのバイトを新しく始めようと決めたところだった。いまのアルバイトは、根本的には嫌いではないけれど、給料のわりに忙しいし、直属のマネージャーが昔、彼のことを理不尽に怒ったことがあったようだ。彼は僕ほど根に持たない性格の人間だけれど、理不尽なことというのは本当に理不尽で論理を突き破って人々の世界を破壊するから、きっとそのことは、心のどこかで根を張っていると思う。でもバイトをやめるのは、そのことより、研究機関でのアルバイトの話が現実的な感じになって来たからなのだろう。
    長丁場のTOEIC試験の帰り道で、次の予定は、あまり行きたくない感じのアルバイト。
    彼の気分はたぶんそんなにルンルンしていなくて、大学院入試の心配をしながら、「バイト行きたくないなあ」とぼんやりと思っている、というような。自転車に乗りながら、過ぎていく周囲の景色はどんなだったろう? 彼の住んでいるところはそんなに都会ではない。ものすごく田舎でもない。
    でもその道は、あまり人通りのないところだったらしい。彼の視界に2匹の猫が紛れ込んだのは、どこか、あまり整備されていない道路のど真ん中であった。ぼくはそう聞いた。
    この二匹の仔猫が、後のトイックとトイフルだ。後輩の彼は道の真ん中で、手のひらサイズの仔猫がよろよろと動いているのを見た。周囲に親猫がいる気配はない。仔猫はよく見ると二匹いた。片方は俊敏に動くのに、もう片方はほとんど動く様子がなかった。
    道の真ん中で危ないなあ。
    そう思ったのか、思わないのか。他人の頭のなかがどうなのかはわからない。とりあえず、彼から聞いたところによれば、彼はすぐにその仔猫二匹を拾わなかった。一度家に帰って、それから、実家で猫を飼ったことがあって、昔、親兄弟が猫を拾ってきたことがあるとか言ってた先輩がいたことを思い出して、意見を聞こうと思った。そのいかにも頭の悪そうな先輩というのが僕だった。
    僕は、その電話を貰ったとき、何をしていたか、たぶん家のなかで、紅茶を淹れて、飲みながら何か本とか読もうとしていた。携帯電話がぶるぶると震えて、誰かからLINEのメッセージでも届いたのかと型遅れのあいほんを取り上げたら、メッセージではなくて、めったにかかってくることのないLINE通話だった。
    もしもし。とか言ったかな。どうだったかな。とにかく僕は電話に出た。猫を見かけてから猫が気にかかってしまっている後輩の子が、家に帰ってから僕に向けてかけた電話に出た。彼はけっこう取り乱していたような悩んでいたような淡々としていたような、実際声色だけでその人の感情を読み取ることができるのなんてFBI超能力捜査官くらいではないだろうか、超能力捜査官が実在するかはわからない。
 
    「いま帰り道に仔猫を見つけたんだけど拾うべきだろうか、拾うべきでないだろうか、拾ったらどうしたらいいのだろうか、うちの母親はあまり猫が好きではなくて、たぶんうちに連れて帰ってもきちんと面倒は見てあげられない、でもあのままあの動きの鈍い猫を放っておいたら、猫は死んでしまうんじゃないだろうか。母猫が見当たらなかったけれど、近くにいないものなんだろうか。どうなんだろうか」
 
    そんなような感じのことを彼は話したと思う。たぶんぼくは、「死んでしまうかもしれないし、死んでしまわないかもしれない。無理して拾う必要はないけれど、心配な気持ちはよくわかる。母猫は一般的にはけっこうべったりと仔猫の近くにいるような印象がある。でももしかすると近くにいたのかもしれない。ただ、弱っていたのなら自然界では仔猫を親が見捨ててしまうということもあるんだろう。心配なら拾って病院に連れて行ってもいいのかもしれないけど、お金もかかるし、拾わないでいても僕は拾わないひとを非難しようとは思わない」とか、そういう感じの曖昧な、毒にも薬にもならないようなことを話した気がする。
    ただ、「誰か優しいひとが拾うかもしれないよ」と気休めを言ったら、「あの道を通るひとはほとんどいない。車がたまに通るだけで、そのうちに轢かれてしまうんじゃないか」と言われたことは、よく覚えている。
    そうして、通話が切れて、彼のなかで、どんな心の動きがあったのかわからない。
    衝動的だったのかもしれないし、熟考の末の行動だったのかもしれない。バイトのために家を出る時間まで、もうあと2・3時間もなかったんじゃないか。それでもとにかく、自転車にのって帰ってきた道を、彼はまた自転車で戻った。
    仔猫を見たポイントまで戻って、まだ仔猫にいてほしいのか、いないでいてほしいのか――わからないけれど、きっと不安な気持ちでいただろう――、結局はまたそこで同じように、道路の真ん中で、無防備に座り込んでいる仔猫のきょうだいを見つけた。辺りに親猫はいなかった。彼は段ボール箱を持っていったらしい、段ボールの底にタオルを敷いていた。頼りない足取りでわちゃわちゃと動く仔猫と、ほとんど逃げもしない仔猫は、それぞれ簡単に段ボール箱のなかに収容されたようだ。
    散々戸惑って悩んで、思考停止しては慌てふためいて、決断らしい決断があったのか、なかったのか、心の動きはわからない。ただ凪いではいなくて大シケだったんじゃないかと思う。最終的には、彼は二匹の仔猫を拾って、自転車で家に持って帰った。
 
    彼は家で猫を飼えないから、里親を探すつもりだった。けれど暫定的に、元気のあるほうの仔猫をトイック、元気のないほうの仔猫をトイフルという名前にした。TOEIC試験の帰り道に見つけたからトイック。トイフルのほうは、TOEIC試験とは別の、もうひとつの国際的な英語のテストであるTOEFL試験から名前をとった。TOEFL試験はトフル試験と読むのに、なんでト「イ」フルなの、と僕が聞いたら、彼は「え、トフルって読むの、あれ」と言った。
    トイックはTOEICでいうと何点くらいなのかを聞いたら、「650点」と彼は言った。TOEIC試験は、990点満点の試験で、650点くらい採れれば、履歴書に書いてみるのもいいかもしれない。そういう試験だ。
 
 
* * *
 
 
    家に持って帰ってうちで飼うことになってよかったね。
    そんなふうにはならない。だって彼は実家住まいであり、母親は猫が苦手なのである。弱っている仔猫を二匹も持って帰った彼は、母親からものすごく怒られて、どうするつもりなのか、元の場所に戻してきなさい、とにかくうちのなかに入れませんから、そう言われて、壁にいきなりぶち当たった。「のび太の母状態」と彼は後になってから僕に話した。
    日曜日であって家には母親の他に父親も妹もいたのだけど、母の怒るなかで皆なにをどうすることもできない(母は強し)。しかももうあと少しでバイトの始まる時間で、シフトに穴を開けるわけにもいかない。どうしたらいいかわからないまま、彼は段ボール箱に猫を入れたまま、一戸建ての家の庭に、猫二匹の入った段ボールを置いて、段ボールのなかには、とりあえず水とカリカリを入れて、バイトに出掛けた。
    帰ってくるのはもう夜中になってしまう。バイトが終わってからも二匹は元気だろうか。仔猫を拾うべきじゃなかったんだろうか。バイトをドタキャンして休むべきだったんだろうか。きっといろいろ悩みながら心ここにあらず、けれど、ルーチンワークで身体化されているバイトが始まってしまえば、身体は動くし、二匹の仔猫について、現実感が薄れる瞬間もある。
    そんなかんじだったのかなあ。僕は想像して勝手なことを書いている。
    そのときの僕はといえば、「拾っちゃったけど、家に入れてくれない」と連絡を受けて、でも僕の住んでいるところもペット禁止だし、でもその弱った仔猫たちも、庭にいるよりは、ペット禁止のところでも屋根があるところに来れたほうがいいのかな、でもそれは、契約違反だしよくないことなんだろうな、というかそもそも、彼の住んでいるところと僕の住んでいるところはけっこうな距離があるわけで、簡単に受け取りに行くことも、世話するための労働力の提供を申し出ることもかなわず、しかも次の日は月曜日、お仕事だ。自分の無力感を噛み締めていた。つまり、拾うことと、拾わないことについて思いを巡らせていたのは、僕のほうだったのかもしれない。
    動物を助けようとするとなんだかよくわからないけれど世間や常識と闘わなくてはならなくなったりする。
   「そんなことよりほかにすることがあるんじゃないの、結局自分がそうしたいだけでしょ。偽善者めが。動物かわいいとかそういう気持ちを押し付けるのやめてもらえますか?」いろいろ、言い分はある。その言い分の一部分は真っ当で正しいものだと思う。けれど彼の視界にはトイックとトイフルが現れたのだったし、いま僕の実家にいる二匹のおとなの猫も、母と兄の視界に現れて、本当にみんななんの計画も用意もなく、ぼくたちの人生に加わって来たのだった。
    一目ぼれした相手や、古本屋で何となく買った本や、ふとしたときに吸い込む夜の空気のようだと思う。顔にぶつかってくる羽虫や、うっかり潰してシミになってしまったニキビや、いくつか受けて一つだけ合格した進学先・バイト先のようだと思う。
    トイックとトイフルはそうやって彼に拾われては、段ボールのなかで夜を明かす。
    バイトから帰って来た彼に、きっと上から心配そうに覗きこまれたことだろう。新型のあいほんで天気予報をみて雨の予報で、それでも家に入れさせてもらえなくてどうにか頼んで、二匹は軒下に運ばれて寒い夜に、雨に降られてびしょぬれにならずに済んだだろう。そしてでもそれがなぜなのか、いま自分たちに何が起きてるかぜんぜんわからないまま、箱のなかにいただろう。
    お母さんはどこにいったんだろうって、いつから二匹はそう思っていたのか、そんなこと思ってもいないのか、仔猫だから、どのくらい何を考えていたのか。それは後輩の彼がどう考え、何をしたのかを想像するより、ずっと難しい。
    人間が助けたほうが猫が幸せかどうかなんて、わからない。
    確かに。世間からの声に同意しながら、でも、この夜、トイックとトイフルが雨に濡れて、凍えずに済んでよかった。凍えずに済んだことを、僕はよかったのだと思う。
 
 
* * *
 
 
  「動物病院に連れて行ったほうがいいと思う」と、拾ってしまったと聞いた段階から、僕は後輩の彼に、いちおうアドバイスしていた。アドバイス。自分で連れて行かずに、「連れて行ったほうがいいよ」「そうするべき!」っていうだけなんて、そんな簡単なことはない。僕は自分を戒めなければならない(ひとが誰かの/何かの面倒を見るのが、とても面倒で大変ということは疑いない)。
    けれど月曜の朝、事態はそれほど深刻には思われなかった。彼は猫を病院に連れて行こうと思うと僕に連絡してきたし、実際に病院に行った。彼が昨夜バイト先で猫の写真を少し同僚に見せたところ、引き取りたいというひとが何人かいたという。それは明るい兆しに思えた。
    僕はあいほんに届いているメッセージを、昼休みに開ける。「健康で、怪我はなくて、ただ栄養失調だろうって。とりあえずノミを取る薬をつけてもらって、回虫を取る薬ももらった。家だと母親が本当に怒ったままだから、仔猫二匹は、小さい頃からよく知っている元大学教授のおじさんの家で、とりあえず十日間だけ置いてもらうことにした」 
    ほら、ノミも取れて、里親も見つかりそうで、屋根のある家も見つかって、万事がうまくいきそうだ。遠くの場所から見ている僕にはそう思えた。僕は、落ち着いたなら、と思って、研究報告の準備とアルバイトと仔猫問題で頭を抱えている後輩の彼に、僕も火曜日にお仕事を休んで、仔猫の様子を見に行っても良いかどうか尋ねた。手伝えることがあったらいいし、何より、誰かに貰われてゆく前に、トイックとトイフルの姿を一目見ておきたいと思った。それはエゴ以外の何物でもなく、しかし僕が仔猫一般のことを大切に思うのは、およそ何かを大切に思うのは、こうしたエゴから来る気持ちなのだという気もする。
    親切な後輩は、勉強の時間を削って、僕をその知り合いの老先生のところに案内すると言ってくれた。嬉しい気分で、僕は仔猫へのお土産に、食べものやトイレ砂はもう買ったらしいし、爪とぎとか猫じゃらしを持っていこうと思った。仕事終わりに、近所のスーパーのペット用品コーナーをめぐった。爪とぎはあって、猫じゃらしは見つからなかった。あーあ。せっかく仔猫と遊べる機会なのに残念だな。代わりに新聞紙を持って行って遊んであげようかな。僕の意識の流れはそういう浅薄なもので、綿密な描写に値しない。描写しないのも保身かもしれない。
    自分の勉強時間を切り詰めながら、頼れる人をぎりぎりまで頼って、仔猫の居場所を確保し、できるだけのことをしようとした彼の苦労を、このときの僕はまだ十分に想像できていなかった。いまもできていないかもしれないが。
 
 
* * *
 
 
    そして次の日は朝早く起きて、僕はバイト先には、急用ができたと連絡して(まあ急用ではある。確かに。仔猫の成長は早い)午前半休を申し出た。仔猫を匿ってくれている老先生の家までは、電車で1時間+バスで30分近くかかる。なかなか遠い。
    電車を降りてから後輩の彼と合流し、バスに乗った。行く途中で、彼から、老先生は病気をきっかけに小脳に少し後遺症が残ってしまっていることを知らされた。いまは呂律のまわりがあまりよくないから、話すときはよく耳を澄ませること、平衡感覚もあまりよくないから、ゆっくりと動いているけれど、老先生はそれでも自分でいろいろできるから、あまり心配しすぎないこと、それから、ちょっと変わり者だということ、などなど。
   雨は上がり、太陽が出て、蝶々がふわふわ飛んでいた。 
    ぽかぽかとした陽気だった。老先生の家は、綺麗な一軒家の立ち並ぶ住宅街の一画にある。二階建てで、老先生はそこに一人で住んでいるようだ。老先生は、確かにふらついているし呂律のまわりが悪くはあるし、それでも何でも自分のことは自分でできる、そして変わり者だった。僕は挨拶して、自己紹介する。先生は僕が大学で法学の勉強をしていたということを知ると(そう、実は僕は法学の学位をもっている)、それはそれは、と、いろいろ、時事にちなんだ話など、裁判ってなんでああなの、行政って、というような、日頃の疑問点について答えてもらえないかと、話をふってくださった。先生の感じている疑問は基本的にもっともであったし、僕が答えられるものなのか、そこは大分怪しかったけれど、でも何を話したらいいかわからないまま、だんまりで時間が過ぎる、ということもなく、とても助かった。
    仔猫二匹は段ボール箱に入っていた。
    段ボールのなかで、二匹の仔猫は眠っていた。トイックとトイフルだ。ここに来て僕は、はじめてこの仔猫二匹につけられた暫定的な名前を知った。指でつんつんしたらすぐに目を覚まして、段ボールから這い出てきて、老先生宅を探索し始める。こっちがトイック。少し突いても目を覚まさず、身体が細く、小さく、ずっと眠ったままでいる。こっちがトイフル。トイフルは前の晩にはもう少し元気があったそうなのだけど、僕が訪ねていった朝にはもう、うまく自分で体を起こすことができないようだった。食事もあまり食べられないようだ。
    やんちゃなトイックと病弱なトイフルは、まだ幼くて、手間がかかる。老先生は一人で自分のことがかなりできるといえど、他人の(というか仔猫の)ケアまでしろというのは、なかなかに酷である。一人暮らしの老先生に世話をしろというのは土台無茶な話であって、トイックとトイフルのお尻には糞がいくらか付いたままだったし、まだ猫砂で用を足すことに慣れていないせいで、あちこち歩き回るトイックがしたうんこが、変なところで乾いて落ちていたりもした(むしろこんな状態になっても預かってくれている老先生の懐の広さには敬服する)。
    僕はとりあえずトイックのお尻についている糞を拭って、落ちて乾いているうんこと、段ボール箱についているうんこを捨てた。それから眠っているトイフルを日向において、身体を温めさせる。様子を見る。
    歩き回るトイックと新聞紙を丸めたもので少し遊んでみて、膝にのせて撫でてみる。手のひらサイズのトイックは、ふわふわだ。けれどトイフルよりトイックのほうが明らかに暖かく、トイフルの低めの体温には、不安を感じる。何か食べさせなければ、そう思うものの、眠っているところに何か食べさせても、息を詰まらせるだろうか。一緒に生まれたトイックはもう、独力でドライフードをかみ砕いて食べているというのに。
    日向においてしばらくすると、トイフルは目を開けた。骨が折れているわけではないのだろうけれど、腰砕けになっている。前日の「病気ではないけど、栄養失調らしい」という報告を「じゃあ、ご飯食べさせれば治るんだ」と軽く考えていた自分に腹が立った。
    仔猫には本来、1日に5~6回、高カロリー食を与えるのが望ましい。けれど老先生にそれを頼むのは不可能であるし、後輩の彼も、研究報告が差し迫っていて、日に何度も老先生の家を訪ねるなんてできない。ケアの担い手が全く足りていない。
    トイフルを持ちあげて膝に載せてみる。しばらく膝の上に載せているうちに、元気が出てきた。僕の膝の居心地が悪いのか、トイフルは「ぎゃあ」と「みゃあ」の、中間のような声で鳴いて、身をよじらせては膝から逃げようとする。嫌がられている(気がする)のに、少し元気そうな様子に、むしろ嬉しくなってしまう。
    猫用ミルクを飲ませてみよう。
    そう思って、さすがにスポイトはないだろうから、「ストローとか、あったりしないでしょうか?」と老先生に聞いてみたところ、「ストローはないけど、スポイトはある」と言われて、え、と思った。いや、そのほうがいいのだけど。
    そして出てきたのはスポイトというより注射器のような、水分を少しずつ垂らせる類の道具だった。ミルクをあげるのにちょうど良い。猫用ミルクを吸い上げて、トイフルの口に近付けて、ミルクを飲まそうとした。でもトイフルは自分からは飲もうとしない。
    こうなればしかたない。
    僕は後輩の子に注射器を持っていてもらい、トイフルの口をぐいっと引っ張って半ば無理矢理こじ開けて、そこにミルクを流し込んだ。ごくんと喉が動き、トイフルがミルクを飲み込むのがわかる。まだ飲み込む力は残っている。トイフルはまだ飲み食いができるのだ。
    僕は、自分で立てないトイフルを見たときに、もしかするともうトイフルはだめなのだろうか、と思った。思ったけど、ミルクを飲んでくれたときには、まだ何か、こうやって口に入れてあげて、ものが呑みこめるのなら、この子は大丈夫なのかもしれない、と思った。やっぱり栄養が足りていないのではないか。十分にご飯をあげれば、トイフルはまだ元気になれるのではないか。 
    できるだけミルクを飲ませて、お尻から出てくるトイフルの糞がズボンについて拭いたりしつつ、僕らは眠たくなってきた様子のトイフルを、再び日向の暖かいところで寝かせた。
    結局、午前半休だけのつもりが、午後も休んで全休にした。トイフルに午後になってからもう一度ミルクを飲ませることにした。
    全休になるのはいいけど、ただ、問題はその後なのだ。
    午前中からお邪魔して、いつまでも老先生の家に居座り続けているわけにもいかない。午後すぎに僕らはまた同じ要領でトイフルにミルクを飲ませ、後輩の子は湯たんぽを温めてトイフルの寝床の下に敷く。先生からカイロももらって、夜中に箱が寒くならないように脇に貼っておく。
    けれどこれでもう、この日にトイフルにできることは、終わりなのだ。これでどうにか、トイフルには次の日まで命を繋げてもらわなければいけない。
    でも、つながったとしても、トイフルを回復させていくには、一日に最低4回は、高カロリーの仔猫用の離乳食のようなものを食べさせる必要がある、と思った。僕はトイフルを自分の住んでいる部屋に連れて帰ろうか悩んだけれど、部屋はペット不可だし、そもそも片道一時間半近くかかるような移動の負担を、トイフルに課してよいものか、わからなかった。後輩の彼に相談すると、彼としては、移動の負担のほうが心配で、もし看取るにしても、この辺りのほうが埋める場所もあるし責任が果たせるように感じる、と言った。
    老先生は、もうわりとトイフルのことを諦めていて、その猫はもう毛並みからしてな、まあ、なるようにしかならないから、こういうのは、という意見だった。広い広い視野で見て、それは、一理ある。一理どころか、ほぼ真理である。けれど、できる限りのことができるよう尽力することだって、「なるように」に含まれるんじゃないだろうか。僕はトイフルが膝のうえで「みゃあ」と「ぎゃあ」のあいだの声で鳴いたこと、ミルクを飲んでから日向ぼっこしているときに数回独力で寝返りを打ったことが、帰りの車のなかでも、頭を離れなかった(なんと、帰りはバスでなく、自家用車だった。老先生が運転してくれた。老先生は平衡感覚に不安があれど、座っている分には問題ないので、実はばっちり運転できるのである。すごい)。
 
 その日の夜、僕はトイフルの糞で汚れたユニクロのズボンを洗いながら、兄に電話していつといつが暇かどうかとかどういう手伝いが期待できそうとかを聞いて、母に電話して、お世話になっている先輩にも電話して、誰かが、どうにかトイフルに日に何度か食事を与えてくれるのに協力してもらえないか、聞いて回ってみた。僕が毎日行くことも考えたけれど、非正規といえ、毎日仕事をズル休みするわけにもいかない(と思うけれど、どうなのか、正直まだわからない。もしかしたら猫の命のためだったら、当然休むべきなんじゃないか? そんなふうに思う瞬間もある)。
 里親候補たちはどうなったのか。
    後輩の子にも話を聞くと、どうやら里親候補たちは、最初かわいいね、と言って、飼いたーい、というような話にとりあえずは進むのだけど、その後、各自が家で、親兄妹同居人各種に相談すると、必ず誰かに反対されて、「やっぱり無理だったー」と彼に連絡してくるのだそうだ。
    確かに、仔猫を貰って育てればその後15年から20年近く生きると考えるべきだし、できる限り、責任を持って仔猫を引き受けるべきだ。でも、僕は翻って自分の人生や、実家にいる猫たち(死にそうなところを拾われた2匹)のことを思うと、そんな覚悟を持った引き受け行為が、一体いつあったのか、そんな覚悟もなく引き取ってしまったわりに、当たり前のように生活の内側にあの猫たちが溶け込んで、もう引きはがすことなんてできなくなっている、そういう事実を不思議に思う。
 長く動物を飼ううえで必要なのは、もしかしたら覚悟や責任ではなくて、まあざっくりいえば愛情、あるいはそれに類するものなのかもしれない。もしかしたら動物を飼う以外も、継続的に何かをするのに必要なのは、そういうものなのかもしれない。
   「実は若いカップルが里親候補にまだ残ってる」と後輩の彼は話した。「でも、この二人で、本当に大丈夫なのか悩んでいる。けれど自分が老先生の家に置いているのも、決していい環境ではない。こうやって悩んでいる余裕も、実際、いまの自分にはなく、研究の報告発表のための用意がもうほんとうに間に合わない。どうしたらいいのかわからない。この数十時間の間に猫を拾ったことをすごく後悔して、もう誰でもいいからさっさとあげてしまいたいと思ったこともあった。だけど、いまはまたわからなくなっている。老先生にご飯をあげてもらうようお願いすることはどうもできそうにない。このままではトイフルは死んでしまうのではないか」
 
 電話したら、「うん、そういうことならじゃあ預かって、日に何回かご飯あげてもいいよ」そうやって二つ返事で引き受けてくれる先輩が見つかったのが、僕がトイフルと会った日の、23時を過ぎた頃だった。「すみません、とつぜんに図々しいお願いをして」と言ったら、先輩は「いやいや、いいって言われたときは、素直に頼っていいんだよ」と言った。その先輩なら老先生の家と比較的近いところに住んでいるし、過去に猫を飼っていたこともある。トイフルのことを安心して預けることができる。僕も土日には手伝いに行くし、後輩の彼も、可能な限りはトイフルの様子を見に行ってくれるだろう。
    もう明日、先輩のところに持っていこう。後輩である彼にも伝えて、話がいちおうまとまった、その矢先であった。でも、考えてみればそんな話がまとまった夜更けの23時頃にはもう、トイフルの体力は限界を通り越していたのかもしれない。もうずっと優に限界を超えて、頑張っていたんじゃないかという気がする。
 
 トイフルが亡くなって、冷たくなってしまったことを確認したのは、トイフルを拾った彼自身だ。彼が次の日の早朝に、老先生の家までトイックとトイフルの様子を見に行ったときにはもう、トイフルの身体は冷たかったようだ。僕は朝が弱いのに、珍しく六時半とかに起きていて、後輩からの知らせを、すぐ受け取ることができた。
  「冷たくなってた」
    そっか。だめだったか。
    でもトイフル、おまえは頑張った猫だ。
    そして後輩よ、きみもほんとうに忙しいなかで頑張った、ものすごい人間だ。
 僕はトイックとトイフルを拾ったと聞いたばかりのとき、もっと早い段階で、先輩に預かってもらえないか聞くことができたのでは、とか、老先生の家に訪ねたときに、そのままトイフルだけでも持ち帰ってご飯をやるべきだったのでは、とか、いろいろ、他にああすればよかったこうすればよかったという事実が、思い返せばある。あるけれど、あるな、と、それは、やれることがあったな、と思ったということで、激しく後悔する気持ちにはならなかった。いまからどう考えてみたところでトイフルはもはや死んでしまっている。後悔はパフォーマンスにしかならない気がする。もちろん考えてしまうけど。知らせを受け取ったときには、やっぱりもう限界だったか、という、看取った彼はいま平気だろうか、という、頑張ってたのに、という、そういう感じに考えた。でも大シケではなく、凪いでいた。
    どうせ死んじゃうなら、拾わなければよかっただろうか。中途半端に生かされて、却って辛い思いをしただろうか。そんなことはわからない。わからないし、トイックとトイフルと出会ってしまって、やろうと思っていた予定がうまくこなせなくなって、借りられる周囲の助けも僅かであるなか、トイックとトイフルを夜中の雨から守り、トイックとトイフルに安全に日向で身体を伸ばして寝返りを打つ幸せを授けた後輩の彼に対して、そういう物言いをするひとを、僕はあまりよく思わないと思う。きっとTOEIC試験の帰り道にトイックとトイフルを見つけたのが僕だったなら、拾わなかった、想像を都合のいい方向に働かせて、社会の常識を適当に持ち出して、母猫に見限られた二匹をそのまま二重に見限ったのではないかと思う。気付いたことに気付かないふりをしたと思う。だって社会はそうやって回っているじゃないか? でも違うかもしれない。だって現に、彼はトイックとトイフルに出会い、迷いながら二匹を持ち帰った。気付かないふりをしなかったのだから。現に社会はこうやって回っているんじゃないか?
    僕は拾えない人間だ。けれど、せめて拾う人間を誇りに思い、称えたい。責任感とか甲斐性とか、そういうものとは違う、愛情というか、目の前で起きたことを豊かな感受性で受け止め、受け止めた感覚に、誠実であろうとする、そういうひとに、あるいは日向で身体を伸ばし、目を細め、お腹がすいたらにゃあと鳴く、苦しいなかでもミルクを飲める生き物に、敬意を表して手助けしたい。そのくらいはしたい。
    トイフルも彼もよくがんばったし、偉かったのだ、僕はとにかく電話口で、LINEのメッセージで、彼にそう伝える。昨日の午前中に、昼間に、膝に乗せたトイフルが大きな声をあげたこと、お前の膝なんて嫌だと言ってくれたこと、後悔ではなく、とにかくトイフルのした一挙手一投足を思い出して泣きたくなったのは、コンタクトレンズを付けた後だった。だから涙はレンズの内側に少し溜まるだけで、僕は涙を流さないで済んだ。がんばってほしかった、でも、じゅうぶんよくがんばった、できることはあっただろうけど、できるだけのことをやった、「なるように」のうちである彼らは、いい流れを呼ぶべく、最善を尽くしたと思う。
 
 
* * *
 
 
    トイックは健康で、元気である。
    いまも老先生の広い家のなかを縦横無尽に歩き回っているか、どこか本棚に入り込んで、足を折りたたんで眠っているかもしれない。里親はまだ決まっていない。だからトイックはまだ野良猫かもしれないし、そうじゃないかもしれない。
 
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    トイフルは偉い猫だったが、トイックだって偉い猫だ。母猫のいなくなったところで、トイックはずっとトイフルから離れずにいた。寝ているトイフルを気付かず踏みつけたりもしていたけれど、身体の安定しないトイフルのために、枕やクッションになってやってもいた。
    トイックはトイフルと一番長く一緒にいた。
    とりあえずまた週末に、僕はトイックに会いに出かけようと思う。トイックを幸せにしてあげなければいけない気がする。
    これから全てが、どういうふうになっていくかわからないけど、世界はいろいろな感情や覚悟を巻き込んで、なるようになっていくのだろう。僕はトイックが幸せになるように、できるだけのことをしてやらないとと思っている。
    本当はすごく飼いたい、と彼からのメッセージが届く。僕もトイックは、本当は君が飼うべき猫だ、と、そう思うのだった。
 
 
※その後の話
不動産屋さんに質問したところ、ペット不可だと思っていた自分の部屋が、実は敷金1ヶ月分足せばペットオーケーになることが判明。我が家にトイックさんを迎え入れました。後輩の彼はトイックさんを見にたまに遊びにきます。トイックさんは今日も元気です。
トイックさんの優雅な日々はツイッターにて!
(@koro_hiyoshi)