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良い日、ころころ

良い日には旅立たずに転がっています

3度目のアネトンの代わりに

3度目のアネトンの代わりに

体温計が37度5分という数字を表示したときには、38度を超えたことにしようと思ったし、38度を超えたときには、39度あったことにしようと思った。職場にはそう報告しようと。人間の脳みそが溶け出すのは44度なんだっけ45度なんだっけと考えて、何度以上あったことにしてはいけないんだろうと考えた。

熱が出ると苦しい。頭がぼーっとするし、頭痛、腹痛、吐き気、胃痛、動悸、息切れ、目眩。でももうこれを書いているいま、熱はないから、風邪のときに本当のところどうだったのか、思い出せない。だから風邪薬のパッケージに書いてある諸症状を丸パクリして頭のなかで暗唱する。こうやって文章に書き起こす。

でも、数週間前、たしかに38度あったと思う。証人は一緒に暮らしている兄しかいないし、兄は体温計を見たことをきちんと覚えているかわからない。刑事裁判では身内は証人台に立てないけれど、熱はおそらくあったと思う。現在まで残っている感覚の痕跡は、喉の奥の方のちょっとしたむずがゆさで、それは息したり、喋ったりすると少しずつ膨らむ。膨らみきって耐えられなくなると、咳になって口から飛び出す。以下繰り返し。

38度あったときに咳はなかった。喉はずっと痛かったけれど、37度以下まで熱が落ち着いてから、ウイルスだの菌だのが最後の断末魔をあげるようにして、咳がはじまった。マンドラゴラ。咳は他の<症状>とは違う。咳には存在感があって、咳をすると大きな音になり、周囲にひとがいれば、「あ、あいつ風邪だ」と思われる。他の症状には誰も気がつけないのに。迷惑がられたり心配されたり、要するにわかりやすい。わかりやすいし、わざとらしい。風邪が落ち着けば、ぼくはまたアルバイトに出かけないといけない。アルバイトに出れば、きっとみんなが心配をしながら、「でもこいつ、本当はさぼりだったのでは?」って疑うだろう。ぼくは本当は38度だったけど何日間も続けて休んでしまったから、38度では言い訳の威力が足らない気がして、「39度くらい出てしまって」と嘘の騙り[筆者注:二重表現ですがわざとです。ママ]をするだろう。ぼくは過去を誇張して話しながら、別に嘘ではない、本当の、諸症状が置き去りにしていった現実の咳をする。風邪と労働の政治のなかで、この咳は周囲の社員さんやアルバイトさんにどう聞こえるだろう。想像するだに恐ろしい。咳は存在がわざとらしい。

でも熱が落ち着いて出勤してみて、実際の社員さんやアルバイトさんの対応は極めて紳士淑女然として、自分の働くバイト先が、いかにホワイトで世の言説とのあいだにおいて隔世の感があるか、自らに知らせしめる、知らしめる、しましめる、しめくくる……? …? ……結果となった。つまり怒られたり疑われたりすることはあまりなかった。けれどわざとらしい咳が、静かなオフィスのなかで、ごほんごほんと大袈裟に、事あるごとに響き渡るのはたしかであって、誰もぼくの不誠実さや背徳を糾弾しないものの、うるさいなあ、とかは思われてるかもしれない。そんなアピールしなくていいのに、とか。菌飛ばすなよ、とか。マスクはしてるけど、311以降の社会では、マスクの安全神話についてあまり過信することもできない。この咳はどうにかしないといけない。ぼくの人間不信を招くだけでなく、さらに、咳をすると、腹筋が痛くなったり変に体力を消耗して体温があがってだるくなったり、存外に体感の弊害も大きい。けっこうきもちわるい。

 でもどうしようもなくね? 別にこのほとんど空っぽの残りカスみたいな咳を止めるために病院にいって日本の社会保障費を増大させて財政を圧迫させるのも申し訳ないし、いやそれは現に気持ちわるいのだし政府に対していちいち財政申し訳ないとか思いながら生きてもいないけど、なんか何かあるたびにいちいち病院に行くのは、めんどくさい。行きたくない。午後は並ぶし、めんどくさいし、やだ行きたくない行きたくない行きたくない。病院行きたくない。

 そうやってごっほんごっほん咳をして喉から痰が出てきては、でも道端に吐きすてるのもティッシュにぺって吐き出すのもなんか気持ちわるくて嫌で、ついついせっかく身体が追い出してくれた痰を再び飲み込んでしまうっていう理性の反乱、我が身体の内乱、出てきたものをまた飲み込むって、言葉にするといちばん気持ち悪いけれど、なぜかそういうことばかりやっては、2月の半ばを過ごした。

そんな日々を送るなか、ごっほんごっほん咳をしながら、知人とベトナム料理を食べているとき、「苦しそうなのになぜか同情する気持ちが湧いてこない」「いらいらする」などと温かい言葉をかけてもらい、ぼくは彼にアネトンを勧められた。アネトン、それはジョンソンエンドジョンソンが売っている咳止めシロップである。ぼくはこれをコクミン薬局で買った(ジョンソンエンドジョンソンで買ったんじゃないのかって? 違うんだな、それが)。

これがぼくとアネトンの出会いだった。

「アネトンに出会う前は、本当に咳がひどくて……。痰はからむし、何より、会う人会う人に眉を潜められるのが本当に辛かったんです。でも、そんなとき、知人からアネトンを勧められて……。半信半疑でアネトンを飲み始めたんです。そうしたら、驚くほどの効き目で! 飲んだ瞬間、その瞬間から、咳がぴたりと止まったんです。本当に信じられません! いまではアネトンなしの生活は考えられないですね」
——咳に困っていて、まだアネトンを飲んでいない方に言いたいことはありますか?
「いやもう、はよ飲め! それだけですね! それでさっさと咳の悩みとおさらばして、僕らと一緒に輝かしい毎日を送りましょう!」

 と、ここまで効いたわけではないけれど、アネトンはなかなか効き目があって、2月の後半は——ここに来てもなお咳が完治しないのがまた恐ろしい——、マンドラゴラ(咳)と少し距離を置くことができた。でもアネトンには不安もあった。アネトンの効果時間は、なんとなくあんまり長くない感じで、飲んだらしばらく咳が止まるのだけど、またしばらくしたら、じわじわと咳への欲求が蘇ってくる、そういう感じだったのだ。
 だからぼくは用法用量を、守っているかいないかぎりぎりのところで、「1日に3回」「症状によっては、4時間以上の間隔を空けて6回まで」のうちの、6回までのほうに照準を合わせ、アネトンを服用した。アネトンのおかげで、職場での人間不信は改善し、望まないのに腹筋を鍛えさせられる強制ライザップも退会できて、食も進み、ぼくの毎日はまったくもって健康さを取り戻していった。説明書からわかるアネトンの副作用は便秘と喉の渇きと眠気で、どれもあまり実感しないけれど、せいぜい夜、やけに眠くなりやすいことくらい、でも咳がひどいと夜は寝付きが悪くなるので、それもちょうどいいことだったかもしれない。アネトンは特に問題なく見えた。でも本当は少し問題があった。

それはアネトンが高いことだ。

アネトンの瓶に高さがあって棚にしまいにくい、という意味ではもちろんない。高さは値段の高さ、価格、どっと混むところで飲みたくなるアネトンは、少々お高い。瓶ひとつで1200円くらいする。

「えー!? たかーい!」と思うか、「そんなもんじゃない?」と思うかでその人の年収がおおよそわかるおそれすらあるので、これ以上一般論として値段が高いか安いかを論じるつもりはない。年収はパンツのなかと同じで、プライバシーだと思う。一方で付言しておきたいのは、アネトンの瓶ひとつが、すぐなくなっちゃうということ、それはぼくが1日6回飲みという人体実験に(無償の治験に)身を投じているからそうなのかもしれないけれど、アネトンはそうやって飲むと、ほんとに1日か2日で一瓶、なくなってしまうのである。これは由々しき事態というか、わりと精神的に不安になるスピードでなくなるのである(え、やっぱ飲みすぎてたのかな……?)。

パンツのなかを見せる覚悟で、ここに書くと、ぼくのアルバイト時給は、千円である。正確には千と50円である。アネトンが1200円近くするということは、ぼくが1時間頑張って働いた時間をすべて費やしても、アネトンは買えないということだ。1000円でスターバックスコーヒーのチョコレートチャンククッキーなら4枚は買えるし、バーガーキングの新商品のチキンナゲットなら10個入りを5箱で50個買える。でもアネトンは買えない。もちろんアネトンは現代の医学とか薬学とかのきっとたぶん最新の知見を用いて度重なる実験に治験とかも行われた末にようやく商品化と相成ったものだろうから、チョコレートチャンククッキーやチキンナゲットより市場価値があるのかもしれない。(もちろんスターバックスバーガーキングの企業努力を貶める趣旨ではないし、外資系企業ばかりを取り立てて話題にして日本の企業の技術力を強調する昨今の風潮を嗤う趣旨でもない。念の為)

大事なのはアネトンの値札に書いてある数字ではなく、ぼくにとっての相対的・関係的アネトンだ。アネトンが必要な理由とか経緯とか目的だ。ぼくは咳の苦痛から逃れるため、また職場で迷惑をかけないため、迷惑をかけていると思い込んで辛い気持ちにならないため、アネトンを買った。一回買っていろいろ楽になったからもう一回買った。アネトンは確かに効く(変な意味じゃなくてクスリとして効く、ああなぜかカタカナに……)。でも2・3日に1回1200円かかるほどぼくに必要だろうか? ぼくにとっての1200円の重みとはいかほどだろうか?

 3度目のアネトンを、ぼくは買わなかった。アネトンを飲まないでいた。咳はまだ出るけど、いつのまにやら少しずつ収まって、アネトンがなくとも、無口でいればもうあまり咳は出ないことに気がついた(喋るとまだ出る)。アネトンとぼくを取り巻く関係性は、刻々と変わっていく。

しばらく無口でいる代わりに、アネトンのことについて何か書くことにした。最近何も書いていなくて、いろいろなところに応募したものも落ちてしまって、もう何を書いたらよいのか、よいとは何か、「書いてもよい」、書くことを許可されるとはどういうことなのか、わからないということもあった。何かエッセイでも書いたらって言う友人がいた。ぼくはアネトンについて書いてみた(これがエッセイなのかはよくわからない)。アネトンはよく効くけれど、ものすごくよくは効かない。まだ喉の奥は燻り、咳は出る。今日もうまく眠れるかわからない。けれど今日は文章を書いてみたし、きっとそのうち、アネトンがなくとも、咳は出なくなるはずだと思う。治ると信じることができそうな気もしてくる。

咳が治ったら咳が出ていたときの気持ちは、忘れてしまうのかもしれない。でもそれは絶望ではないし悲嘆にくれることでもない。希望とも違うんだろう。咳が治ることはただ、咳が出なくなることだ。ぼくは長引いているこの咳が、はやくよくなるといいなと思う。


※ なお脱稿後、アネトン咳止めシロップがアマゾン.comでは700円代で買えること、アネトン咳止めシロップはジョンソンエンドジョンソンにより製造され、武田薬品工業によって販売されているという事実に触れた。

【指定第2類医薬品】アネトンせき止めZ液 100mL

【指定第2類医薬品】アネトンせき止めZ液 100mL