良い日、ころころ

良い日には旅立たずに転がっています

まえにゲームセンターにいて

記憶が曖昧だけれど、まともに一対一で話をしたのはゲームセンターでばったり会ったときくらいではないだろうか。

ぼくはよくリズムゲームで遊んでいて別の訃報を受けた後にもゲームセンターに寄ってリズムゲームをプレイしながらいろいろ考えを巡らせたのを覚えているから、——あのときも自転車で落ち葉を踏んで肌寒くて、——もう長く着ている、いままさに着ているこのダウンベストを着ていた気もするけど、確かでない。

悲しい気持ちになるほど親しくはなかったけれど、僕はいまより人付き合いが苦手で、話しかけてくれても上手に返せず、それでも話しかけてもらえたのは大助かりだった。

もっと仲良くなれたかもしれないけれどならなかった、それはそれで構わないし残念ではなく、残念なのは、いまもういなくなったことのほうです。

多くのことが、大勢のひとが、それぞれたいへんなことを抱えてそれを知らないことにして、知らせないことにして生活しており、世の中はディテールを知らないこととしており、むかしであれば僕は、それは不正義だともっと憤ったのかもしれないが、受け止めきれないという人間の弱いところも愛すべきところのような、近頃はそういう気がするときもある。

COVID19のニュースで数がどんどん増えていき、気にする必要がどこまであるかも曖昧になっていき、でも、コロナが来る前だってなんだって、突然のたいへんなこと、慢性的のたいへんなこと、抱えているひとはたくさんいて、抱えていないかのようにしていて、抱えていないかのようにすべきとされていて、抱えている人々も、他の人々は抱えていないだろうと考える、多くの人は普通はこんなふうにならないんだろうなあ、違っていたんだろうなあ、実際はわからない、そうかもしれないし、そうではないかもしれない、まるきり幸せなことだってあるかもしれないし、幸せがなんだかはわからない。

ちょっとだけ悲しくなって涙が出そうになったので、——こらえたわけでもなくその涙はコンタクトレンズの向こう側に溢れるほどの量ではなかったから眼の中に戻っていっただけ、自分へのカウンセリングに、このような文章をしたためて、ブログにあげて、でもいいねとかそういうのを欲しくない気もするので、誰でも見られるけど誰も見てないところにおいて、息を潜めておく。

夜明けの来ない夜もある、そんな日もスターバックスのスタンレーコラボのタンブラーを買って、またゲームセンターに行く。なんでもないように装っている。そのほうがかえって特別でいられるのかもしれない。